人類発祥の大地探訪記_滝沢公夫1
[リビングストン]
◆ザンビアの最南端、ジンバブエと接する観光地
★翌日、ルサカ空港を出発し、1時間ほどでリビングストン空港に着きました。がらんとした小規模な空港です。タクシーが全く居らず、夕闇も迫ってきたので心細くなっていたら、空港の人がタクシーを呼んでくれて、やっと宿泊所である「インターコンチネンタルホテル」に着きました。
★ゆったりとした、木立に囲まれた風情あるホテルです。サファリで一緒になったイギリス人とも同宿となり、再会を喜び合いました。ここは世界的な観光地ではありますが、その当時は未だ一般に知られておらず、落ち着いた静かな雰囲気で気持ちが良かったです。
★夕食はテラス風のレストランで、アフリカの民族芸能を堪能しながらの、楽しいひと時でした。飲み物も豊富に取り揃えてあり、バイキングの料理も種類が豊富で大変旨かったです。太鼓連打の音楽が、雰囲気を盛り上げてくれます。「協力隊を育てる会」の副会長と事務局長も一緒になって、お互いに写真を撮りあったりして大いに楽しみました。客室の設備も、ザンビアとしては格段に優れています。心地よい疲れで、すぐ眠りにつきました。
★翌朝は、薄暗いうちから起きだし、近くを散策。緑が豊富で良く手入れもされています。各種の鳥も来ています。従業員の対応も感じが良かったです。バイキングの朝食のあと、世界三大瀑布のひとつである「ビクトリアの滝」見物に出発しました。今日は、国境を越えてジンバブエまで足を伸ばす計画で、未知の世界に期待すること大です。ホテルの裏側から、滝につながる遊歩道をゆっくりと歩きます。ただ、この道を歩くのに料金を取られたのには驚きました。
[ビクトリアの滝]
◆世界3大瀑布のひとつにふさわしい迫力
★遥かに滝の音がすると思う間もなく、遂にビクトリアの滝の一部が見えてきました。大きな大地の割れ目から、物凄い水量が落下しています。乾季のため水量は少ないそうですが、それでも大した迫力です。轟音につられて移動して行くと、滝の形、水量、音もどんどん変化していきます。ザンビア側からの観光は、現在は僅かに行われていますが、その当時は全く行われておらず、誰ひとりとして会うことはありませんでした。滝の音のほかは静寂の世界です。滅多に経験できないルートである、としみじみ感じました。水煙が高く上がるため、虹も美しく出ていました。
[ジンバブエに入国]
◆さらに豪壮なビクトリアの滝
★しばらく歩くうちにザンビアとジンバブエの国境近くに達し、出入国管理事務所で入国手続きをして、ジンバブエに入国しました。鉄道の線路沿いの道を少し行くと、国境の表示が大きく出ています。更に行きますと、両国の境界の谷にさしかかります。谷にかかる橋の上から、バンジージャンプを楽しんでいる人がいました。下を見ると眼がくらみそうです。世の中には勇気のある人がいるものだと感心しました。
肥満の誇大広告
★並行した鉄道では、貨物列車がゆったりと通っています。両国とも、その当時は政情、治安ともに比較的安定していて、まことに平和な国境付近です。ジンバブエ側の滝の入り口近くで、通貨をジンバブエドルに両替し、いよいよ有料の滝見物公園に入りました。順路は良く整備されており、説明板も親切です。滝を見るポイントは幾つもあり、それぞれ名称がつけられています。
★総じて、ザンビア側よりも視野が広く、豪壮な風景です。滝の音も腹にこたえます。すべてのポイントを見てから、滝の発見者・リビングストンの銅像に達し、しばらく小休止。更に滝の下の方に下がって行くと、滝壺に達し、猛烈な水しぶきを浴びました。世界3大瀑布のひとつを体感した、貴重なひとときでした。
★滝をあとにして、ジンバブエの街に入りました。ザンビアよりもかなり生活水準は良く、物価も安い。スーパーにも入りましたが、ものものしい警戒はなく、生活物資も豊富です。みやげ物店では、特産の河馬、象、豹などの木製品、絵葉書、布地等をできるだけ多く買い求めました。USドルを使用できるのも便利でした。但し、現在は政情不安定で、国家財政も危機に瀕しているようです。
★切手を買うために郵便局を訪れましたが、入りきれないほどの人の群れで、しかも12時になったとして窓口を閉鎖されたので、買うのは諦めました。誰も文句を言いません。日本のサービスとは大違いです。街のビュッフェでありあわせの食事をしました。
★滝も街も見て、概ねこの国の実情を把握できましたので、タクシーをつかまえて、ザンビア側のホテルに戻ることにしました。途中、出入国管理事務所で例の通りの手続きをしましたが、案外スムースで、無事ホテルにたどり着くことができました。
[ヘリコプターに搭乗]
◆ビクトリアの滝の雄大な全体像に感動
★翌日は、上空から滝の全貌を眺めるため、ヘリコプターに搭乗しました。滝の周辺を1時間ほどかけて、丁寧に飛行してくれたのです。滝の幅は約1,800メートル、落差約110メートルです。滝になって落ちる前のザンベジ河の流れと、滝壺の大しぶきが全体的に眺められ、雄大な地形と構造が手に取るように理解できました。
★滝壺の上には、美しい虹も現れています。なんとも云えない感動的な眺望です。滝は、大地の大きな裂け目となって目の下にあり、かなたの地平線がアフリカの広大さを実感させてくれました。時間を忘れているうちに、無事地上に戻りました。滝は、地上からだけでなく、空中からも見ることによって、更に理解が深まったのでした。
[ザンベジ河クルーズ]
◆楽しく感動的なひととき
★午後は、滝の水源であるザンベジ河のクルーズに甥の案内で出かけました。比較的大きな観光船に乗客は僅かです。大自然の雰囲気に浸り、ゆったりと時間が流れていきます。妻は、現地人家族に折り紙を教えています。皆真剣に折り方を試して喜んでいます。微笑ましいひとときの風景です。現地人の子供の素直な笑顔が大変印象的でした。
食欲不振ejercicio
★次第に夕暮れが迫り、河に大きな夕日の影が輝き出しました。なんとも感動的な日没です。対岸に突然、犀が顔を出しました。犀は滅多に見られないとあって、皆歓声をあげたのです。その時、前方から賑やかな船が近づいてきました。ドンチャン騒ぎの観光船です。白人の若い女性が酔っ払って、こちらの船に向けて大きな尻を丸出しにしてみせるハプニングもありました。兎に角、楽しく感動的なクルージングでした。
[隊員の任地住民を訪問]
◆住民に信頼されている活躍を実感
★翌日は、一旦ルサカに戻り、甥が隊員として赴任しているカナカンタペ村を訪問しました。甥は、食用作物栽培技術を現地人に指導しており、砂漠化した原野で、如何にして玉蜀黍などの作物を栽培するか等、大変骨の折れる指導とのことでしたが、現地に行って、想像以上に大変な仕事であると実感しました。
★ルサカから物凄い悪路を1時間ほど揺られて行くと、甥の住んでいる住宅に着きました。比較的新しいコンクリート造りの一間だけの住宅ですが、水は遠くの河または井戸まで汲みに行かねばなりません。電気は最近開通したばかりですが、利用できるのは公共的な機関に限られるようです。
★近所の住民や公共機関の人々を紹介してもらいましたが、甥の普段からの地元密着で、皆大変友好的でした。学校からは、生徒達が、甥の名を呼びながら駆けつけてくれました。とても心温まる情景でした。それにしても、このような不便な土地で頑張っている甥の姿が、一層輝いて見えるのでした。
★続いて、ここから程ないところに在る、甥が農業を指導している民家を訪問し、全員から絶大な歓迎を受けたのです。勿論、水も電気もないマッシュハウスですが、当地としては比較的恵まれている一家とのことです。日本の秋葉原に行ったことがあるそうで、携帯ラジオを保有していました。
★ここで、飼っていた子山羊を絞めて、ご馳走に提供してくれたのです。子山羊の悲鳴が耳から離れませんでしたが、塩だけで調理した煮込みは、まあまあの味でした。玉蜀黍の粉で作る「シマ」と一緒に、手掴みで食べるのです。水が貴重なため、小さいボウル一杯の水を、全員に回して手を濯ぎます。これには一寸閉口しましたが、心のこもったご馳走であることを思い、楽しい雰囲気で食事を済ませました。
★万事行動が緩慢で、ポレポレという感じですが、日本人の性急さも反省させられました。妻は、ここでも折り紙を教えました。大人も子供も皆楽しそうに遊んだのです。しかし、長幼、男女、親子の序列は厳しく、かなり古い体質が感じられる一方、子どもたちの礼儀正しさと明るさには、本当に感心しました。また、水を得るべく井戸の工事が行われていましたが、本当にスローモーで、経済発展への援助も容易なものではないと思われたのです。
[報告・懇親会]
◆得難い経験等の発表
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★以上で今回の視察・激励旅行の日程が終了し、再びルサカのホテルに戻りました。戻る途中、付近の住民がバスを止め、乗せてほしいと頼むので、街の近くまで乗せることにしました。交通機関がないため、このようなことは普通だそうです。
★ホテルで我々一団は再会し、それぞれの得難い経験等を楽しく語り合いました。懇親会には、隊員は勿論、国際協力事業団の人も参加し、盛大で楽しい会になりました。「育てる会」副会長の挨拶は、大変迫力があり楽しいものでした。76才の高齢で、ラフティングボートに挑戦した話は感動的でした。その他次々に経験談を発表し、楽しい中に名残りを惜しんだのです。明日はいよいよザンビアとお別れです。
[ルサカからヨハネスブルクへ]
◆アフリカの近代都市・ヨハネスブルク
★早朝、ロビーに全員集合。帰国までの予定、手続き等の説明を受けました。小型バスに乗り、ホテル従業員の見送りを受けて空港に向かいます。途中、しっかりとザンビアの風光を目の奥に焼き付けるように目を凝らします。
★空港では、買い忘れたみやげ物を更に買い足します。すると、偶然日本国ザンビア大使に会いました。東京で会議があるため、これから一時帰国するとのこと。先日のことで厚くお礼を述べて別れました。そして、甥をはじめ隊員たちに激励の言葉を述べていよいよ搭乗。空港の2階デッキで、隊員たちが必死に手を振っています。こちらも、見えなくなるまで手を振り続けました。あっという間に茶色の大地が下に見えます。カルチャーショックを受けたザンビアともお別れです。
★しばらくまどろむうちに、ヨハネスブルクに到着。往路で立ち寄っているため、空港の中は勝手がわかります。本日は、空港前の「ホリデーイン」への宿泊です。早速、南アフリカの通貨「ランド」に両替して買い物をしました。この空港でジンバブエ組と合流。互いに経験談を話したり、写真を撮りあったりして歓談しました。
★ホテルはなかなか立派なもので、窓からの夕景も感動的でした。ホテルの売店で、長さ90センチのキリンの彫り物を飼いましたが、大変良い出来で、今も玄関に飾ってあります。売店の白人は、東京から来たというと大変喜んで、あっさり値引きもしてくれました。
★その夜は、治安の悪さからの危険を避けるため、皆で揃って街にでかけました。街は、ビルが林立した近代的なもので、ここがアフリカとは信じられないほどでした。揃って、日本人の経営する「だるま」という寿司屋に入り、久しぶりに日本食を楽しみました。感慨深い最後の晩です。
[ヨハネスブルクから成田へ]
◆感慨深い帰国
★翌朝、ついにアフリカを離れる日を迎え、感慨で一杯になりました。離陸すると間もなく海上に出て、アフリカとさらばです。旅行中のさまざまな体験を思い起こしながら、次第にまどろんできます。途中、シンガポールで、乗り換えのため空港に降り立ちました。往路の経験もあり、空港内の土地勘は十分で、かなりの待ち時間を買い物や見物で過ごすことができました。
★再び搭乗して一路成田へ。夕刻ついに無事成田に着陸しました。団員お互いに熱い挨拶を交わして、それぞれの感慨とみやげ物を手に、家路についたのでした。
[おわりに]
◆我が人生での得難い体験
★今回の旅行は、アフリカのほんの一部に限られたものではありますが、普通の旅行会社のツアーまたは個人企画では、とても企画、実施できない、大変貴重なものであったと思います。これも、青年海外協力隊を派遣している海外協力事業団(現在の海外協力機構)と、「協力隊を育てる会」による、積年の努力の賜物だと感じています。
★また、隊員本人はもとより、その家族の、協力隊活動への積極的な理解と協力は不可欠ですが、更に国民全体への啓蒙活動も一層求められると思います。そこで、この旅行の経験から学んだことや、今後の課題と思われることを若干記して、拙稿を終わります。
(1) 協力隊員は、既に途上国80か国に延べ3万人程度が派遣されてきておりますが、活動実態と実績が殆ど国民に知らされていません。この点、啓蒙のための広報活動が更に必要ではないかと思います。
(2) 隊員は、概ねかなり劣悪な環境のもとで、地域の人々に信頼されながら、その国の改善・発展のために、必死に活動している実態が理解できました。
(3) 隊員になる動機は、自分の人生経験を充実させるため、ボランティアのため、将来の飛躍に備えるため等、何であっても良いと思います。
(4) 隊員経験者の就職が困難といわれていることについては、企業経営者等に対し、隊員の活動実績を認識させるための格段の啓蒙が必要でしょう。
(5) 隊員受け入れ国� �現状を見ますと、日本の援助を当然のこととして、自助努力に欠ける面もみられます。ブラブラしている労働力の有効活用を怠る国への援助は、再考する余地があると思われます。
(6) 途上国における隊員の活動状況と実績を実感して貰うために、場合によっては、視察・激励旅行への参加を一般の人々にも認めてはどうか、とも思います。
(7) 「協力隊を育てる会」の存在、活動状況を理解して貰うための広報活動を、更に充実させることが望まれます。
(8) 今回の旅行によって、協力隊および「育てる会」への理解は相当程度深まりました。数々の得難い経験を与えて戴いた関係各位に、深く感謝いたします。 [完]
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