※今回、星蓮船のネタバレを含みます。ご注意ください。 始まりは、私がいつものようにパチュリー様の命で図書館の整理をしていたときのことでした。
……いえ、正確にはその表現も正しくは無いのかもしれませんね。
なぜなら、その時にはとっくに、紅魔館は変わり果てた手遅れな状態になっていたのですから。
■東方よろず屋【第二部】■
■第六十三話「バイオハザード……?」■
静寂がこの空間を満たし、乾いた匂いを運ぶ静まり返った図書館。
私こと名無しの小悪魔の仕事は本の整理、そしてパチュリー様のお世話。言ってしまえば、パチュリー様専属の雑用係……では、なんだか聞こえが悪いですね。ここは秘書と言う事にしておきましょ� �。
専属の秘書。うん、なんだか出来る女みたいでちょっといいかもです。眼鏡でもかければ完璧でしょうか? 今度、咲夜さんに頼んで買ってきてもらいましょうかねぇ眼鏡。
そんな他愛もないことを考えながら、私は一人ふぅっと小さくため息を零す。
そう、一人なのです。
今この図書館には私しかいない。
敬愛するわが主、パチュリー・ノーレッジ様は今頃、この館の主であるレミリアお嬢様にお茶に招かれてテラスで優雅に紅茶を嗜んでいることでしょう。
ちょっとうらやましく思うのと同時に、パチュリー様に命じられた仕事をこなしたいとも思う。
二律背反、とでも言えばよろしいのでしょうか?
私とて、レミリアお嬢様のようにパチュリー様と紅茶を嗜んだりしたいのです。しかし、私にとってはパチュリー様から賜った仕事は何よりも変えがたい至福の時。
私に仕事を任せてくださる� �いう事は、それだけ私のことを信用、あるいは信頼してくれているという事。
これが、使い魔として存在する私にとって嬉しくないはずがない。その信頼に、全力を持って応えたいと思うのは当然なのです。
いやでも、寂しいのは寂しいのですけどね。
「パチュリー様~、あなたの小悪魔は寂しくて死んでしまいそうですよ~」
なんとなしに呟いてみましたが、「聞こえるはずが無いか」と苦笑して、いつも使っている椅子に腰掛ける。
静寂、と言うのも嫌いではありませんが、それでもやはり一人でいることは寂しいものです。
早く帰ってきてくれないかなぁ、パチュリー様。そんなことを思っていたときでした。
ギィッ……と、重厚な扉の開く音。
期待を膨らませて其方を振り向いて� ��れば、入ってきた人物が目的の誰かでなかったことに落胆し、膨らんだ期待が空気の抜ける風船のように萎んで行く。
代わりに沸きおこったのは焦燥と不安。
だって、今しがた扉を開けた妖精メイドは―――今にも息苦しそうな表情で膝を突いていたのですから。
「どうしたのゴンザレス!?」
「小悪魔様、ゴンザレスって言わないでください。それよりも非常事態です、一刻も早く紅魔館から脱出してください」
「非常事態? どういうことなのゴンザレス。まさか、とうとうメイド長が欲望に我慢できずににゃんにゃんうふふな破廉恥行為に及んだりとかしかしたんですか!?
畜生、なんてうらやましいんですか咲夜さん!! 私も混ぜてくださいよ妬ましい妬ましぃぃぃ!!」
「……頭大丈夫ですか」
わーい、ゴンザレスってば冷たい。小悪魔泣きそうです、よよよ。
その冷静さ、さすが私とパチュリー様直属の図書館部隊隊長。妖精の癖に頭よくて冷静で妬ましい妬ましい。パルパルパルパルパルパルパル!!
「パルパル言ってないでイイから脱出してください。今のところ、無事なのは小悪魔様だけなんですから」
「あれ、心読みました?」
「おもいっきり口に出してました。そんなことよりもイイから脱出して、後ほどそのピンク一色の発禁な脳みそを永遠亭の薬師にでも見てもらってください」
うわぁお、辛辣。ゴンザレス、もしかして私のこと嫌いですか?
……と、そこまで思考して気がつく違和感。
今、彼女はなんといった? 無事なのが、私……一人?
嫌な予感が駆け巡る。足のつま先から、背筋を通り脳髄を伝って、脳に届けられる冷たい悪寒。
「ゴンザレス、パチュリー様は!!?」
そう問いかけたときの私の声は、どこか悲鳴みたい。
鏡なんかで確認しなくても、今の私はきっと血の気を無くした青い顔をしていることでしょう。
聞き間違いであってほしい、そう一縷の望みを託して問いかけた言葉にも、返ってきたのはフルフルと静かに横に首を振る動作だけ。
「そんな……」
足の力が抜けて、がっくりと膝を折る。
一体どうすればいいのか、嘆けばいいのか、泣けばいいのか、それとも今すぐにパチュリー様のいるテラスに駆ければいいのか。
一度思考が漂白されて、様々な感情と思考が入り� �じり、何をどうすればいいのかわからない。
そんな私に、再びゴンザレスは言葉を投げかけてくれた。
膝を折った私を叱咤し、元気付けるかのように。
「小悪魔様、コレはパチュリー様の命でもあります。今、感染していないあなただけが頼りなのですよ。私もお嬢様やメイド長、パチュリー様達のようにいつ変態するかわかりません」
「変態!?」
「どこに食いついてるんですか、そういう意味じゃありません。いいですか、一刻も早く巫女に、あるいはスキマ妖怪に事の次第を伝えて……ッ」
しっかりツッコミを入れたかと思えば、彼女は苦しそうに表情を俯いてしまう。
彼女を助けようと慌てて駆け寄ろうとするのだけれど、それは他ならぬゴンザレス自身に止められてしまった。
� �「……私のことよりも、あなたにはやることがあるでしょう。いいから行ってください、小悪魔様。必ず、必ず紅魔館を救ってください!」
「―――ッ! わかりました、待っていてくださいねゴンザレス。正直、事態がまだ飲み込めていませんが、すぐに巫女に事情を伝えてきます」
「お願い……します」
普段、真面目な彼女がコレほどまでにお願いをするという事は、紅魔館はそれほどの事態に見舞われているという事。
パチュリー様や咲夜さんはおろか、あのお嬢様でさえ不覚をとったという事になる。
よく考えればわかることだったのだ。私が駆けつけたところで、何も出来るはずがない。
私に出来ることは、口惜しいけれど外部に助けを求めることだけ。
情けない、と悔しさを押し殺して私は駆け抜けて行く。彼女を追い越し、図書館を出てまっすぐな廊下を振り返りもせずに。
それが、私の大好きな家族を救える唯一の手段だと信じて。
景色が後方に流れていく。風を切りながら目的の場所を目指して空を翔る。
早く、早く、早く! 気持ちがせいているせいか、いつも以上のスピードで空を飛んでいるというのに遅いと感じて苛立ちばかりが募っていく。
パチュリー様は無事なのか、みんなは手遅れになっていないだろうか、様々な不安が綯い交ぜになって私の心の内をかき乱す。
視界に博麗神社が見えてくる。私はあせる気持ちを抑えながら徐々に減速してゆっくりと神社の境内に降り立った。
急ぎすぎて大怪我なんてして、肝心の助けを呼べなくなってしまっては目も当てられない。
「霊夢!!」
大声を上げて、私は神社の方に駆け寄って行くけれど……そこで人影に気がついて、はたと足を止めてしまった。
そこに立っていたのは、灰色の衣服に身を包んだ少女。背丈はレミリアお嬢様よりも少し高いぐらいだろうか、すらり とした細身の体に、端正な顔。
色白の肌はきめ細やかで、その瞳は赤く、大きいけれどもどこか鋭い印象を受ける。鼠の丸い耳に薄い灰色の髪はボブカットにされて、それがこの少女にはよく似合っていた。
「やぁ、紅魔館の……司書君だったかな? 霊夢ならここにはいないよ」
「ナズーリン、さん?」
その人物があんまりにも意外だったから、私は呆けたようにその少女の名を読んでいた。
以前、空に浮かんだ宝船騒動の時以来の付き合いになる妖怪ねずみ。今は確か、人里の近くに立てられた「命蓮寺」という場所に彼女の主人共々、そこで生活していたはず。
そんな思考を見透かしたかのように、彼女はやれやれといった様子で肩をすくめた。
「私のご主人がまたうっかり無くし物をしてしまってね。探し物から帰って見れば主人ともども、寺の皆が愉快なことになっているもんだから巫女の元を訪れたわけさ」
「あー、それはなんと言うか……ご愁傷様です」
彼女のご主人のことを知っている私としては、なんとも言えず当たり障り� �ない返事を返すだけにとどまった。
何しろ彼女のご主人、虎丸星さんはいわゆるドジッ子さんで、私達の予想もつかないものをこれまた私達の予想もつかない場所に無くしてしまうのだ。
そのたびに、「探し物を探し当てる程度の能力」を持つ彼女が探し物を探す羽目になる。
「その慌てようから見ると、どうやら君のほうもなにやら異常事態とお見受けするよ。寺だけでなく人里でも感染が広がっているようだし、コレはいよいよ大事かな」
「感染……?」
そういえば……ゴンザレスもそんなことを言っていたような気がします。
それはつまり、紅魔館だけにとどまらず、幻想郷全体に及んでいる感染症……という事なのでしょうか?
それにしても……、なーんか私とナズーリンさんの間に温 度差があるような気がしてならないんですけど。
私の方は切羽詰っているというのに、対してナズーリンさんのほうは余裕綽々といった感じ。
いくら冷静で思慮深いナズーリンさんだって、なんだかんだ言いながらもご主人の星さんのことは慕っていたと思うんですけど。
「……なんというか、随分余裕ですね、ナズーリンさん。ご主人が心配じゃないんですか?」
「あぁ、いやあの主人にはたまにはいい薬じゃないかな。確かに最初は驚いたけど、しばらく観察してるとばかばかしくて呆れてくる」
やれやれと、これ見よがしにため息までついてしまった彼女。
あるぇー? なんかいよいよ話がおかしくなってきた気がしますよワトソン君。どういうことですかコレ、ホームズ先生。いや、ナズーリン先生。
と、そんな疑問に苛まれているとこれまた珍しい顔が博麗神社の鳥居をくぐった。
あの白色と独特なシルエットは……間違いない、エリザベスさんです。
[ついてきな、二人とも]
くいっと指を階段の方に差して、いつものようにプラカードに言葉を書く。
一体どうしたものかとナズーリンさんのほうに視線を向けてみると、彼女はしばらく思案した後で小さく頷いて見せた。
「ついていこう。彼はどうやら、何か事情を知っていそうだからね」
「そうですね」
どちらにしろ、ここには霊夢はいないみたいだし、このままじっとしているわけにも行きま� ��ん。
色々納得のいかないことも、わからないことも山積みですけど、ジッとしていたって問題は解決しないのですから。